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千葉旭市の津波被害
千葉県旭市の旧飯岡町は、長さ約60キロメートルにおよぶ九十九里浜の北端に位置する小さな港町である。作家の子母沢寛は、昭和の初めに投宿した旅館で聞いた話から、「座頭市物語」を書いた。海岸近くにはその記念碑が建てられている▼東日本大地震の津波被害は、千葉県では飯岡地区に集中した。奇異に感じ現地を訪れたところ、海方向左に大きな壁のようにそびえる岬に圧倒された。この岬がつくりだす回折波と、九十九里浜南端の大東岬からの反発波が合わさって津波が増幅されたという▼飯岡の死者・行方不明者は15人に上る。町が根こそぎ津波にもっていかれたという状況ではないが、全壊や半壊した多くの建物を見ると言葉を失う。砂浜に打ち上げられた大量の残骸には悲惨さが漂う▼飯岡海岸は太平洋の怒涛に洗われる浸食海岸で、江戸時代から対策が講じられてきた。現在では湾岸保全とレクリエーションの両立を目的として、サイクリングロードを組み合わせた防波堤が設けられている。これが津波被害の軽減に役立った▼甚大な被害を受けた三陸海岸地域も、過去の幾度もの経験から津波対策が重ねられてきた。今回の津波は想定外のレベルを格段に引き上げた。被災地の復興にとどまらず、日本全国のさまざまな天災に対する備えを改めて考え直す必要があるだろう。