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【連載】台湾化学産業 創始者が語る =1= 奇美実業(上)
《奇美実業 許 文龍 氏》
戦後70年。日本と同様、アジアの化学産業も大きく発展した。その一つ、台湾の化学産業は起業家により礎が築かれ、次の世代へと引き継がれようとしている。奇美実業をポリスチレン(PS)の加工メーカーから世界最大のABS樹脂メーカーに育て上げた許文龍氏。有機化学を中心に、中間化学品で北東アジアにおいて大きな事業ポジションになった長春石油化学グループの総帥、林書鴻氏。林氏の盟友、陳顕彰氏の3氏に台湾の化学産業の歴史と経営観を語っていただいた。
▽...許文龍氏は昭和3年生まれ。日本統治下で育つ。後藤新平をはじめとする台湾の発展に貢献した日本人に、「台湾を拓いた日本人」との感謝を込めて、自ら制作した彫像を、各氏のゆかりの場所に寄贈活動を行う。奇美実業の成功と日本は切っても切れない関係にあると強調する。
【許】台湾の幸運は日本にとって台湾が植民地支配の対象ではなく、領土の延長線上と位置付けられていたことだ。九州大学より早く帝国大学を作ったり、5年間で50もの学校を開校したことは、そうした統治姿勢の象徴でもある。私自身、旧制の台南二中(現国立台南第一高級中学校)に3回滑ったが、そうした生徒を集める専修学校に入学でき、ハンマーの使い方から始まり、実務を徹底して教え込まれたことが、プラスチック加工を始める上で大いに役に立った。
▽...許氏は戦後、奇美実業を興し、フェノール樹脂の加工からスタート、その後、ポリスチレン(PS)の加工品を主力に事業を伸ばす。
【許】当時、欧米で開発されたプラスチックは香港にまず入り、それから台湾に来た。フェノール樹脂ではソケット、PSでは射出成形による雑貨品の加工を手掛けた。加工からPS樹脂自身の生産に着手、さらに、スチレンとアクリロニトリル、ブタジエンを原料とするABS樹脂の生産に遡及していった。(当時需要としては大きかったポリエチレンやポリプロピレンではなく)PS、ABS樹脂を主力事業としたのは、技術的なリスクの高いガス状のものを原料にせず、危険性の低い液状のものが扱いやすいこと。奇美実業という身の丈にあっていると考えた。初めは5ガロン容器でスチレンモノマーを輸入した。それが、ドラム缶になり、タンカーなるのに時間は掛からなかった。港湾など物流の良さにも助けられ、今では10万トンタンカーで原料を運び入れる。
▽...奇美実業は日本を中心にABS樹脂の原料を輸入する。当時では破格の長期契約を結んで、ウインウインの関係を構築した。
【許】ビジネスは製品を買ってくれる客を大事にするが、その原料を売ってくれる人も同様に大事。「商いは買いにあり」だ。
▽...長期契約を結び、安定的な顧客として原料を引き取ることで、原料の供給者も計画が立てやすい。日本からの原料輸入では足りなくなり、米国のアーコケミカル(当時。現ライオンデルバセル)とも同様に10年間という引き取り保証をした。「出るものは全部買う。その代わり、競争力のあるものを売ってくれ」と。アーコは併産するSMの大量引き取り手の存在によりPO/SM事業の世界的な投資展開を加速する。