日付検索

2015年12月の記事を読む
2015年11月の記事を読む
2015年10月の記事を読む
2015年9月の記事を読む
2015年8月の記事を読む
2015年7月の記事を読む
2015年6月の記事を読む
2015年5月の記事を読む
2015年4月の記事を読む
2015年3月の記事を読む
2015年2月の記事を読む
2015年1月の記事を読む
2014年12月の記事を読む
2014年11月の記事を読む
2014年10月の記事を読む
2014年9月の記事を読む
2014年8月の記事を読む
2014年7月の記事を読む
2014年6月の記事を読む
2014年5月の記事を読む
2014年4月の記事を読む
2014年3月の記事を読む
2014年2月の記事を読む
2014年1月の記事を読む
2013年12月の記事を読む
2013年11月の記事を読む
2013年10月の記事を読む
2013年9月の記事を読む
2013年8月の記事を読む
2013年7月の記事を読む
2013年6月の記事を読む
2013年5月の記事を読む
2013年4月の記事を読む
2013年3月の記事を読む
2013年2月の記事を読む
2013年1月の記事を読む
2012年12月の記事を読む
2012年11月の記事を読む
2012年10月の記事を読む
2012年9月の記事を読む
2012年8月の記事を読む
2012年7月の記事を読む
2012年6月の記事を読む
2012年5月の記事を読む
2012年4月の記事を読む
2012年3月の記事を読む
2012年2月の記事を読む
2012年1月の記事を読む
2011年12月の記事を読む
2011年11月の記事を読む
2011年10月の記事を読む
2011年9月の記事を読む
2011年8月の記事を読む
2011年7月の記事を読む
2011年6月の記事を読む
2011年5月の記事を読む
2011年4月の記事を読む
2011年3月の記事を読む
2011年2月の記事を読む
2011年1月の記事を読む
2010年12月の記事を読む

ニュースヘッドライン記事詳細

2015年12月18日 前へ 前へ次へ 次へ

【戦後70年 激動の化学】 リーダーの証言 / 信越化学工業 金川千尋会長

 
 「百の言葉より一つの実績」。信越化学工業の金川千尋会長は、誰もが認める実績を示し続けてきた。1990年8月の社長就任から、同社の時価総額を約7倍の約3兆円強に成長させた。また2016年3月期の予想では、売上高は約3倍の1兆2700億円、経常利益は4倍強の2100億円となる見込みだ。とくに金川氏が手塩にかけて育てた米シンテック社の塩化ビニル樹脂事業は「北米の2位と3位の企業を足した規模より大きい」という抜きんでた世界王者だ。また信越化学は、シリコンウエハーでも世界最大の供給メーカーとして知られている。米国大手債権格付機関による格付では、名だたる世界の化学企業を抑え上場化学企業の頂点に君臨している。

 その金川氏は「信越化学がここまで強くなれたのは、小田切(新太郎)さん(信越化学工業元社長・会長)のおかげです」と述懐する。「小田切さんは実績で人を評価されました。実力ある人物を見抜き、事業を任せてくれました」。金川氏は極東物産(現三井物産)から35歳で信越化学に転職したが、海外事業で実績を積み重ねる金川氏の実力を小田切氏は見抜いた。「平の取締役(49歳で取締役に就任)に過ぎなかった私を信頼し、社内の異論を抑えてシンテック事業を任せてくれました」。

 「毎日、全力を尽くして戦っています」と語る金川氏。「現在の当社の姿に満足しているわけではありません。それぞれの事業で世界一を志し、世界市場で真に最強の企業を目指します」と力を込める。

★塩ビ?成長への信念★

 金川氏の実績として広く知られるのは米塩ビ子会社シンテックの設立と、その後の事業拡大だ。「1974年10月17日に操業を開始したシンテックは、北米で最後発の塩ビメーカーで、生産能力も北米で13番目の年産10万トンに過ぎませんでした」。しかしその後、十数回にわたり生産能力の大増設を繰り返し、世界トップの塩ビメーカーに育て上げた。創業の地テキサス州フリーポートにおける塩ビの生産能力拡大に続き、ルイジアナ州に900万坪に及ぶ工場用地を確保し、塩ビの原料からの一貫生産体制を整えた。「シンテックは、操業開始当初からダウ・ケミカルから原料を購入して生産し、拡大してきました。その後、川上の原料まで逆上り、競争力をさらに強化することに努めてきました」。現在、シンテックではルイジアナ州での大増設を進めており、それが完成すると同社の塩ビ生産能力は、日本全体の年間需要量の3倍に匹敵する年産295万トンとなる。

 拡大戦略の背景には、塩ビに対する金川氏の強い信念がある。「塩ビ事業が大きくなったのは、塩ビという樹脂そのものが良い製品であるからです。塩ビは、インフラ整備や住宅建築などで大量に使用されますので、今後も世界的に需要が拡大していくと見ています」。社会にとって欠かせない材料である塩ビの世界需要は必ず増えるという揺るぎない信念があればこそ、この事業に賭けることができた。

★需要家が一番大切★

 金川氏が事業経営で最も大切にしているのは需要家だ。「困っている需要家がいれば、何か力になれることはないかと共に解決策を考えることもあります」。またシンテックでは、貨車で運ぶ塩ビが約束の期日に需要家に届くよう万全の対応を取っているという。きめ細やかな行き届いたサービスにより、需要家の信頼を勝ち取っていった。

 品質やコストを左右する技術力は、信頼を寄せる小柳俊一氏(信越化学工業元副社長)に託した。小柳氏は、信越化学が1970年に鹿島工場に導入した世界に類を見ない超大型重合器の開発を主導するなど、塩ビ樹脂の技術開発史に名を刻む技術者である。「小柳さんが、塩ビ樹脂の技術を世界一にしてくれました」。

 そして金川氏の経営の神髄ともいえるのが、事業の分析力と決断力だ。「市場を読み、売り切る自信があれば更なる拡大を目指します」。言葉こそシンプルだが、大規模な増設を何度も繰り返しながら、常にフル生産、全量販売を続けてきた経営力は驚愕に値する。こうした努力の積み重ねにより、シンテックは汎用樹脂である塩ビのメーカーとして異例の高収益企業となった。同社の2014年12月期の業績は、売上高3150億円に対し、経常利益は490億円、純利益は335億円にも達している。

★リスク回避の哲学★

 重大で根本的なリスクを常に回避する努力を怠らないことも金川氏の経営哲学だ。その一つに無借金経営がある。例えばシンテックは、度重なる巨額の設備投資を自己資金で賄うことで無借金経営を続けてきた。「かつて信越化学には借金が多く、その金利が人件費と同じくらいだった時期もありました。当時の小田切社長に、本社の借金が無くなれば給料が2倍になりますかね、と尋ねたほどです。借金をしていると、資金を止められたらそれで会社が終わってしまいます」。

 カントリーリスクにも細心の注意を払っている。シンテックを米国で展開する理由もカントリーリスクが念頭にあるからだ。「1967年にニカラグアに設立した塩ビの合弁事業(ポリカサ社)は優良会社に育ちましたが、同国で勃発した革命により撤退を余儀なくされました。この経験は、事業を進めるときにカントリーリスクは絶対に避けねばならないことを私に教えてくれました」。

 米国では2003年以降、天然ガス価格が上昇し化学産業の競争力が低下した。しかし金川氏は、米国のカントリーリスクの低さと国の底力を信じてシンテックでの大投資を決断した。米国ではその後、シェールガス革命が起き、2010年以降の天然ガス価格は2003年以前の水準に戻った。「シェールガス革命を事前に予想していたわけではありません。しかし米国にはエネルギー問題を解決する力があると信じていました」。そしてシェールガスという有利な材料を得た米国で、電気分解からの塩素に続き、塩ビのもう一方の原料であるエチレンを生産する工場の建設を決断した。「米国の有利な天然ガスを利用して原料からの一貫生産でさらに競争力を高めていきます」。日本企業として初となる米国でのエチレン工場は、ルイジアナ州で2018年前半の完成を目指している。

 「投資は常に大きなリスクが伴います。安易な投資をして失敗することはできません。失敗すれば、すぐに数百億円単位で資金を失ってしまいます」。実戦の場で鍛え上げた経営感覚を武器に、あらゆるリスクを慎重に回避しつつ、「ここぞ」の場面では一挙にたたみかけ、実績を積み上げてきた。

★全事業で世界一目指す★

 塩ビとシリコンウエハーで世界トップの座を守ってきた信越化学。その心境は「オリンピックの金メダリストと似ているかも知れません」という。「世界一になるのは大変なことです。しかし、それを維持するのはもっと大変なことです」。そして金川氏は不屈の闘志でさらなる高みを目指している。「全ての事業でトップになることが目標です。まずは日本一に、そして世界一を目指します」。

(随時掲載)


Copyright(c)2010 The Chemical Daily Co., Ltd.