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2011年07月29日 前へ 前へ次へ 次へ

石原産業・藤井一孝氏

藤井社長.bmp - 震災と原発事故を抱えた厳しい環境下での社長就任となりました。
 「被災された方々には心からお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復旧・復興を願わずにはおれない。当社は事業所などでの直接的な被災はなかったが、原発事故問題を端緒として全国規模での電力供給不安や節電対策などが生じており、今後少なからず影響を受けることになるだろう。リーマン・ショック後、大幅に悪化していた業績は、今春の決算で酸化チタンの工場稼働率改善や価格改善の浸透で黒字転換を果たせた。フェロシルト問題も解決までの道筋がみえるところまできており、今回の震災で国内景気の先行き不透明感は高まったが、震災前に策定した計画数値を達成し、さらにはこれを上回れるように全力を尽くしたい」
 - トップ就任の打診は突然だったようですね。
 「社長室に呼ばれたのはゴールデンウイーク直前だった。工場の事業計画の打ち合わせかと思っていたが、突然、『四日市工場の再構築に最前線の指揮官として汗を流した君ならやれる。俺の後を引き継いでくれ』と、(織田健造)会長が私に鋭い目線を送って切り出されたので驚いた。正直にいうと、あまりに突然の話で、ためらいもあったが、『ノーといえる透明性のある企業風土の構築。それを継承し、社内にさらに定着させるには強いリーダーシップが必要なんだ』という会長の言葉で決心がついた」
 - その四日市工場の現状は。
 「四日市工場は当社(単体)にとって国内唯一の生産拠点。農薬などは生産のグローバル化が進んではいるが、製造技術の根幹はこの地に置くという基本方針は今後も変わらない。工場の改革のため、この3年間に建設・改修費として約250億円を投じた。幸い最近では設備トラブルに起因する事故なども減り、安定した生産ができている。四日市工場の再生に関してもう一つ重要なことはコンプライアンスであり、とくに現在徹底して取り組んでいるのが情報公開だ。行政当局や地元住民の方々には、何か工場で問題が生じればつぶさに報告しているし、定期的に直接工場内を見ていただける機会を設けるようにしている」
 - 主軸の酸化チタンや農薬事業の戦略は 。
 「酸化チタンは、原材料鉱石の品薄・価格高騰など克服すべき課題はあるが、タイトな需給環境の下でグローバルに価格上昇が続いており、この状況は当面変わりそうにない。当社はアジアの主力メーカーとしてのポジションに応じた供給責任を果たすことはもちろん、研究開発型メーカーとして製品の高付加価値化を進めることで総合的に収益性を向上させていく。円高の進行で売り上げが伸び悩んでいる農薬についても、海外での既存剤販売地域の拡大と新規剤の開発を急ピッチで進めており、従前から掲げている連結ベース700億円の売上目標は堅持していく。織田会長の改革路線を踏襲し、そしてそれをより深化および進化させることで両事業の強化を加速し、1年でも早い復配を目指したい」
 (聞き手=高井肇)
 
(横顔)
 四日市工場長としての3年間は神経をすり減らす日々だったという。それを支えたのが大学時代のグリークラブの経験で、「全国大会に出場するほど没頭した」。心までが共鳴する「メンタルハーモニー」が合唱の極意だという。そんなこともあって、「調和」が一番好きな言葉だそうだ。

(略歴)
 〔ふじい・かずたか〕1969年(昭和44年)名古屋工業大学化学科卒、同年石原産業入社。05年執行役員、07年取締役無機化学営業本部長、08年取締役専務執行役員四日市工場長。09年無機事業改革統轄室長兼務、10年無機化学営業本部長兼務、同年6月無機化学事業管掌。11年6月社長就任。三重県出身、64歳。


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