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子規のユーモアと縄文人の死生観
正岡子規は28歳の時、日清戦争に従軍、その帰国途上で結核を発症して35歳で亡くなるまで闘病生活が続いた。最後の3年間は寝返りも打てないほど症状が悪化、その記録は「病牀六尺」などに残されている。驚くのは死期が迫りながら、明るさと旺盛な食欲を失わなかった精神力だ▼闘病のなかで執筆した「死後」という小品は子規らしいユーモアにあふれている。土葬、火葬、水葬から姥捨山、ミイラ化などによる死後をイメージするが、いずれも「面白くはないような感じ」だ。最後は「星にでもなってみたい」ことになる▼人に必ず訪れる死。縄文時代の始まりは、これまでの学説より3千年早い1万5千から6千年前という説が有力になっている。文字のない縄文を探る手がかりは、遺跡や埋葬された人骨である▼人骨でがんが死因だったことや、骨折などの治療が行われたこともわかるという。遺骨の一部を記念物に残して死者と一体化する輪廻感が縄文人の死生観だったことも明らかになっている▼翻って現在。東京都が募集した墓石に代わる「樹木葬」に希望者が殺到して話題になった。墓地の不足対策があるにしても、死者と魂のつながりを大事にする縄文の死生観は今も変わっていない。一方で、田舎の立派なお墓の維持に頭を抱えている人が多いのも日本の現実である。