江戸の神仏公開ブーム
徳川時代の江戸の人口には諸説あるが、18世紀初頭には100万人を超えたことは確実のようだ。しかも武士の家屋敷などの建築も多く、家具など関連需要にも支えられ江戸っ子の懐は温かったらしい▼これに着目してか、地方大名や旗本の間で、珍しい神仏や国元で有名な神社仏閣の公開がブームになった。錦絵の販売や催し物収入も見込め、大名で延べ53カ所、旗本で15カ所になったという調査もある。短期間に廃れたものも多いが、虎ノ門金刀比羅宮、日本橋蛎殻町の水天宮は現在も残り、参拝者を集める▼行政やビジネス街に鎮座する金刀比羅宮は、1660年に讃岐丸亀藩邸があった芝・三田に分霊、19年後に江戸城の裏鬼門にあたる現在の場所に移した。毎月10日に藩邸を開放、参拝を許可して庶民の熱烈な支持を得た▼子授け、安産の神様として知られる水天宮の祭神は安徳天皇、建礼門院、二位の尼(平時子)と平家滅亡の悲劇を背負っている。久留米有馬藩の鎮守として祀られてきたが、藩邸のあった旧三田小山町に分霊して篤い信仰を集めた。現在地に移ったのは明治初めだ▼一方で、公開の流行に悪乗り、神仏を偽装して幕府のお咎めを受けた藩もあったという。日本人の思考は進歩しているのか、考え込むにしても、江戸のバイタリティはもっと見習いたい。