歴史に残るカ性ソーダの製法転換
退陣表明しながら辞任しない菅直人首相に国政は振り回されている。このドタバタ劇から、ロッキード事件を契機に起こった「三木おろし」が思い出される。自民党の国会議員の約7割が三木武夫首相の退陣を求めたものの、信じられないほどの粘りで拒絶した▼三木さんは化学産業の歴史にも軌跡を残している。田中角栄内閣の環境庁長官(副総理兼務)時代に発生したのが1973年(昭和48年)の「第三水俣病」騒動。これによって水銀法によるカ性ソーダが槍玉に上がり、政府は非水銀法への転換を決める▼この決定に業界は、科学的根拠がないこと、代替技術の隔膜法は品質・コストで欠点が多いとして反対した。これに対し、三木さんは「困難に直面すれば技術は進む」として業界の主張を受け入れなかった▼76年に第一期の製法転換が完了したが、並行してイオン交換膜法の開発を進め、86年に水銀法は姿を消し、99年にイオン交換膜法に全面転換した。これに要した投資額は3000億円、業界は体力を消耗した▼最近発行された小冊子「日本の化学技術シリーズー電解技術の変遷」から、難問を乗り越えた技術の歩みを知ることができる。三木さんの政治決断は結果的に正しかったが、菅さんの進める脱原発。こちらは歴史の評価に耐えることができるだろうか。