2014年3月の記事を読む
2014年2月の記事を読む
2014年1月の記事を読む
2013年12月の記事を読む
2013年11月の記事を読む
2013年10月の記事を読む
2013年9月の記事を読む
2013年8月の記事を読む
2013年7月の記事を読む
2013年6月の記事を読む
2013年5月の記事を読む
2013年4月の記事を読む
2013年3月の記事を読む
2013年2月の記事を読む
2013年1月の記事を読む
2012年12月の記事を読む
2012年11月の記事を読む
2012年10月の記事を読む
2012年9月の記事を読む
2012年8月の記事を読む
2012年7月の記事を読む
2012年6月の記事を読む
2012年5月の記事を読む
2012年4月の記事を読む
2012年3月の記事を読む
2012年2月の記事を読む
2012年1月の記事を読む
2011年12月の記事を読む
2011年11月の記事を読む
2011年10月の記事を読む
2011年9月の記事を読む
2011年8月の記事を読む
2011年7月の記事を読む
2011年6月の記事を読む
2011年5月の記事を読む
2011年4月の記事を読む
2011年3月の記事を読む
2011年2月の記事を読む
2011年1月の記事を読む
2010年12月の記事を読む
人と話題 BASFバッテリー材料シニアマネジャー 藤木大輔氏

電池材料で先行する日本に研究拠点を開設。地に足をつけた提案活動を推進
"顧客の声"に最大限応える
「聴」という漢字の源字「聽」。耳を王にして素直に心で聴くという意味だという。BASFが昨年末開設したバッテリー材料研究所の重要な仕事が「聽」。「マーケットの新参者として技術提案し、宿題をいただき、再提案する。最も重要なものが、お客さまの声を聴くこと」と語るのは、同研究所開設の旗振りとなった化学品・農薬統括本部化学品事業部化学品営業バッテリー材料シニアマネジャーの藤木大輔氏。日本が先端をいくバッテリー分野での主要材料供給企業のポジション獲得を目指す。同事業で2020年約5億ユーロを目指すBASFの戦略的布石でもある。
欧米拠点からの出張ベースの限界は、バッテリーの技術開発の速度と言葉の壁。「開発のスパンが長い産業であればよいかもしれないが、バッテリー開発はテンポが速く、迅速な対応が求められる」。また「深い技術知識があっても、言語や暗黙知という明文化できない壁は高く、開発現場ではお互いの理解が埋まっていくスピードこそ重要なポイント」であったことが日本でのバッテリー材料研究所開設の背景。2000年代後半から戦略を構築し、日本での設立が実現した。
藤木氏はスイスで樹脂添加剤の研究に従事していた頃、ディスプレイなど日本の進んでいた分野への技術提案は「欧州に座っていてはできない」と痛切に感じた。「顧客がクオリティ重視からコスト重視になる転換点についても、物理的な距離があることで温度差があった」との反省も。これが研究所開設の強い動機でもある。
BASFは現在、独、米、中に同材料の研究所を持つが、尼崎に開設した同研究所はゼロからの研究と開発の両機能を持つ。同社は正極材、電解液が主事業だが、水系SBRの技術蓄積をベースにバインダーの事業化にも乗り出した。正極材・電解液の性能向上を目的に、負極研究も行っている。
同研究所を軸とするバッテリー材料研究チームの最も重要な仕事が「聽」。「技術的に進んだ顧客とコラボして開発を進めるキーは聴くこと」。次が「起業家精神。他社を超える提案をする必要がある。既存に捉われない創造力が問われる」。「開発営業は時間がかかる。車載用だと数年は常識。そのなかで営業だけでなく、尼崎、さらには独の研究所も含めて、チームとしてのモチベーションを上げるには、段階ごとの成功を共有すること」。グローバルの強みを発揮するために腐心していることだ。
バッテリー材料研究所のある尼崎研究開発センターの強みは「尼崎だけでなく世界中の機器を活用できる。さらに尼崎の特性として他の事業部門の技術機能がある。有機、無機化学、電材など、これらがバッテリー材料の研究開発に補完的に効いてくる」ことだ。
BASFは長期スパンで経営戦略をみる。「大型船が遠くに視野を持って航行するように。故にメガトレンドに対する意識は極めてシリアス」。この特性を背景に、エネルギーマネジメントの基幹技術である蓄電と、その事業化の推進役をバッテリー材料研究所が握っている。それは、日本がバッテリーの分野で世界の中心プレーヤーになることと、深くつながる。
(松岡克守)