対岸の火事でないコダックの破たん
米イーストマン・コダックが「日本の写真フィルム・印画紙市場は閉鎖的だ」として、米通商法301条に基づき米通商代表部(USTR)に提訴したのが1995年5月。その後、世界貿易機関(WTO)に持ち込まれ、97年12月に日本側の主張を全面的に認める中間報告が発表された。あれから14年余を経過したが、そのコダックは米連邦破産法(チャプター11)の適用を申請した。
コダックは90年代初めから経営が悪化、ポラロイド社への賠償金やリストラ費用も抱えた。94年には化学品部門を分離してイーストマン・ケミカルを設立、スターリング・ドラッグ社などの医薬事業からも撤退して、経営資源を写真フィルム事業に集中したが、結果的に銀塩フィルムからデジタル画像に代わりつつある時代に逆行することになった。
90年代後半から、デジタルカメラが一般消費者への普及が始まった。写真業界でアナログからデジタルに向かって創造的破壊ともいうべき技術革新が起こったわけだ。21世紀になって、携帯電話で手軽にデジタル画像が撮影できるようになり、一眼レフでも優れたデジタルカメラが開発された。化学工業統計によると、10年には映画用フィルムやX線フィルムなどあらゆる写真フィルムを合わせても年間販売額は1128億円、10年前の3分の1に減っている。「写ルンです」のようなレンズつきフィルムはいまでも観光地などで売れているものの、市場の減少は今後も続くだろう。
コダックのライバルだった富士フイルムは、90年代初めの大西實社長時代から医薬分野に興味を示していたが、写真フィルムの市場縮小が確実になるなかで、製薬メーカーの富山化学工業を買収したり、化粧品分野に参入するなど、高付加価値のファインケミカル分野に力を注いだ。デジタルカメラの流れにもうまく乗り、液晶テレビ向けの高機能部材でも高いシェアを獲得、収益事業に育てる。
これに対して、コダックはファインケミカル事業を切り離し、世界に先駆けて開発に成功した有機ELからも撤退した。選択と集中は賞味期限の切れた写真フィルム事業に向かい、しかも、その手法は政治力に頼って市場拡大しようとしたことも経営破たんの一因といえよう。
しかし、コダックの経営破たんは決して対岸の火事ではない。最近、日本企業が韓国や中国企業に押され気味になっていることが話題になる。そして不採算部門の撤退を含めたリストラで収益改善に取り組む動きも目立つ。もう一度、企業の原点に立ち戻り、あるべき姿を見つめなおす好機かもしれない。