ブックタイトルこだわりのモノづくり電子書籍

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概要

こだわりのモノづくり電子書籍

日本最古のフッ素化合物メーカー森田化学工業1917年にフッ化水素酸の商業生産に日本で初めて成功した森田化学工業は、以降約1世紀にわたり日本最古のフッ素化合物メーカーとして業界をリードし続けている。創業時26歳の若さだった森田鎌三氏はフッ素化学工業の将来性にいち早く着目し、わが国の化学工業史に名を残す業績を残した。森田鎌三氏は1892年、大阪・池田の造り酒屋の次男として生まれた。大阪道修薬学校(現大阪薬科大学)を1909年に卒業して薬剤師の資格を取得。その後、紡績会社付属病院の薬局長や東洋製薬の工場長といったポストで経験を積み、1917年に大阪府東成郡田辺町(現大阪市住吉区田辺町)で森田製薬所(現森田化学工業)を創業した。同年からフッ化水素酸の製造販売をスタートし、各種フッ素化合物の製造にも次々と成功。社業と業界の発展に尽力し、1965年に死去した。森田製薬所がフッ化水素酸の商業生産を始めた当時は第一次世界大戦の真っ只中。ロシア革命が起きるなど、不穏な空気が漂うなかでの出来事だった。1910年代の日本は、ほぼすべてのフッ素原料や製品を欧州や中国からの輸入に頼っており、消費量も現在に比べれば僅かなものだったという。第一次大戦は欧州が主戦場となり、多くの工業製品が輸入されなくなったため、フッ素化学品も国産化を求める動きが強まっていた。国産化当時のフッ化水素ガス発生装置は鉄かぶと状の鋳鉄製釜。直径45センチメートル、深さ25センチメートル程度で、原料の蛍石を1バッチ当たり10~12キロク?ラム投入し、硫酸を入れて反応させていた。製品ベースの収率はフッ化水素44~45%、ケイフッ化水素酸4~5%で、これは現在と大差ない。フッ化水素酸の製造量は当時月間4~5キロク?ラムで、500ク?ラム入りの鉛瓶に詰めて道修町を鎌三氏自左から2番目が創業者の森田鎌三氏ら売り歩いたと伝えられている。ただ、量が少なかったため、無水リン酸などの製造も手掛けながら事業を運営していたという。需要量が少なかったとはいえ、製造工程での危険性もともなうフッ素化合物を国内で生産するメーカーは日本の産業界にとって非常に重要だったことはいうまでもない。1920年には大阪府が事業育成を目的として特殊工産品製造奨励金2万円を同社に支給している。こうした支援を受けつつ事業を発展させていった同社は、現在では中国にも生産拠点を構えるなど国内外で先端産業にフッ素化合物を供給するメーカーへと飛躍を遂げている。社名森田化学工業株式会社住所大阪市中央区久太郎町4-1-3大阪センタービル6F代表取締役社長森田康夫電話06-6252-2501設立1935年(昭和10年)、創業=1917年(大正6年)事業内容フッ化水素酸ならびにフッ素化合物一般の製造、一般化学薬品の製造など