ブックタイトルこだわりのモノづくり電子書籍
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こだわりのモノづくり電子書籍
理想的合同論、今なお継承オー・ジーオー・ジー(旧大阪合同)の創業者である井村健次郎は、日本人による国内合成染料市場の立役者の一人だ。天然染料は旧絵具屋系業者が取り扱う一方、合成染料はドイツなどの輸入品が大勢を占めていた。輸入代理店に勤務していた井村は、その時が来るを待っていた。大正初期、第一次世界大戦が勃発すると、国内染料業その一人だった。しかし、その特需に浴する井村ではなく、戦争が続けばドイツからの輸入ができなくなると予測し、戦禍が広がる欧州へ単身渡り、身の危険を冒してスイスのサンド社へ向かった。井村は、永世中立国なら戦時中でも合成染料を安定的に輸入できると判断し、サンドの染料輸入販売権を取り付けた。このため1916年、大阪市に井村合資会社を、翌年に井村貿易を設立し、サンド製品の本格的な取り扱いを開始した。思惑通りドイツからの輸入はストップし、サンドの染料で巨万の富を得たという。しかし、戦後恐慌による染料価格の大暴落が起こり、井村は「もはや個人の時代ではなく、理想を同じくする者達が力を結集することで危機を乗り切れる」と在阪染料問屋に呼びかけ、この〝理想的合同〟に共鳴した山留合名会社、林六兵衛商店、河内合名会社、柴田安染料店が集い、1923年に大阪合同が設立された。井村は設立から73歳で亡くなるまでの32年間、社長を務め、国内染料業界において伝説の経営者となったのである。井村に富をもたらしたサンド製品の中でも爆発的なる多キいかシろレ)」たンの金ブ別春ル名新も道VあにSるかで。け染てめ「た金振春り色袖(。こ置ん屋ぱのヒットとなったのが高級酸性染料「キシレンブルーVS」だ。この染料はわずかに緑がかった明るい青色で、日本の伝統色である藍色と違い、当時としてはハイカラな色合いがうけた。大正時代の東京・新橋の芸者衆がこの色の振り袖を愛用したことから『新橋色』と呼ばれ、全国的な大ヒット染料となった。新橋色は、東京臨海新交通臨海線・ゆりかもめの新橋駅内に柳のパターンデザインの表現色として使われるなど現代でも愛されている色となっている。井村が唱えた夢のある会社交流のある会社寛容の精神のある会社影響力をもつ魅力ある会社-の理想的合同論は化学品専門商社として確固たる地位にあるオー・ジーの礎を築いたものといえよう。社名オー・ジー株式会社住所大阪市淀川区宮原4-1-43代表取締役社長福井英治電話06-6395-5000設立1923年(大正12年)事業内容染・顔料、化学工業薬品、塗料、樹脂製品、医薬品、機能材料、食品、機械・機器などの販売と輸出入業